槍ヶ岳ー奥穂高縦走 第3日目 平成21年9月21日
三度目の正直 大キレットを行く
南岳小屋(0650h)−大キレットー北穂高岳(1000h〜1040h)−涸沢岳(1335h)−
奥穂高山荘(1400h)−奥穂高岳(1530h)ー穂高山荘(1630h)
第1章 行くぞ〜 大キレット〜 え? ところでキレットって何?
キレット=切戸はどうも日本語らしくて稜線の一部が急激にきれ落ちている場所の事で富山県側では「窓」とも呼ばれる
そうである。語源は「切れっ処/切れっ戸」からきているみたい。
「大キレットとは、長野県の南岳と北穂高岳の間にあるV字状に切れ込んだ岩稜帯である。この縦走ルートは、痩せた岩稜
が連続し、長谷川ピークや飛騨泣きといった難所が点在する。」とネット解説に出ている。
山渓出版の北アルプス登山案内には「槍・穂高連峰縦走はアルピニスト憧れの岩稜縦走だ。」とある。 うひょ〜
これを歩いたらすなわちアルピニストの仲間入りだ〜
更に同書には「(登山道の整備が進んでいるが)日本屈指の岩尾根縦走である事に変わりなく、踏破するには豊富な経験と
技術、体力が必要だ」と続く。 うんうん これで普段四国の藪を歩いた豊富な経験と技術、体力が試されるわけだ
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)を使用したものである
大キレットを一望するとこんな場所
北穂高岳からの大キレット全景
寝たか寝れなかったかようわからん一夜が明けて、05時過ぎに日の出を見に展望所へ上がる。昨夕のカメラマンが又同じところに
陣取って写真を撮っている。東から太陽が昇って次第に辺りを明るく映し出す。朝焼けと夕焼けは写真を撮ると良く似ているのだが、
その雰囲気は全く違う。何か地球の息吹を感じさせる様なワクワク感がある。
早朝 大キレットへの登山道を確認する 常念岳方面から陽が登ってくる
獅子鼻には同じカメラマンが陣取る
ツェルトに帰ると研治が南岳小屋から出て我々の所に居た。昨夜は案の定小屋は酷い状態で、肩が痛いのに
「そこの人、狭いから横になって寝てください!」ってオバサンに注意されたと腐っていた。
テント泊者用の野外バイオトイレはそう混雑もしていなく、小屋のそれよりは順番が早くやってきただろう。
普段愛想の良いマーシーさんも私も隣のバカ・アベックには口もきかずに06時50分南岳小屋前を出発して大キレット
へ向かう。
南岳展望所から右手に縦走路があり、日陰になったガレた傾斜を下りて行く。一旦尾根中央部の平坦地に出て、今度は
左手の谷状のガレ場を又下る。柱状節理の岩壁沿いに今度は尾根の右側にルートが変わる。前方には北穂高岳とその
右側にドームが見える。
右手のガレ場を下る 平坦地の展望所 研治とマーシーさん
狭い谷状のガレ場を下りていく 又 右手に出る
柱状節理の岩尾根 白いヘルメット姿のマーシーさん
急な岩場が右側に下がって行き、鎖場と鉄梯子を慎重に下ると南岳からの下りがほぼ終わる。南岳小屋を出発して約30分で
崖の下側までほぼ下りつく事が出来る。振り返ると相当な崖に見えるが実際そこを下りてみると技術的に何も要求される様な
厳しい所は無い様に思えた。
丁度石鎚の東稜コースの最後が見た目に厳しそうなのだが、実際歩くとちゃんとした足場が確保されているのと同じようなものだ。
07時15分鉄梯子を下り、07時25分南岳の下部まで到着する。
北穂高とドームが行く手に聳えている ザレ場の鎖へと慎重に下る
手がかり、足がかりが結構あるでしょ?
鎖場を下りる 最後の鉄梯子を下る
こんな岩場を降下しました やっと平たい場所を歩けるわい
大キレットの最下部と言っても標高2、748mもあるのだが、この辺りまで下がるとさすがに植物も多くなる。ハイマツやその他の
低木類、高山植物が見られる。南岳への崖や幕岩は相当な落差を感じさせ、山は岩石で出来ているんや〜と実感する。
自然美の美しさでは大キレットから振り返って見る南岳方面の景色が北穂高方面より数段上だ。
早朝と言うのに北穂高方面からやってくる登山者と時々すれ違う。高御位山さん達の様に山歩きは薄暗い頃から歩き始めて
いるんやろなあ・・・ 大キレットの底部は何て事ないフツーの尾根で北アルプスの風景を堪能しながらのんびりと歩く事が
出来た。
大キレットの底部はハイマツなどの植物がある 南岳からの岩入道
わ〜〜い もうすぐ大キレットの底やぞ〜 手前は長谷川ピーク
南岳を振り返る 右斜面の黄色はオンタデでしょう
大キレットの南側での難所は長谷川ピークから始まると本に書いてある。前方に小高い岩山のピークがあり、恐らく
これが長谷川ピークだろう。長野側=東側にはハイマツなどの植物が生えているのでそんなに厳しいという感じにも
見えない。
事実、少しの注意は必要ではあるが歩いてみて危険は感じない。後で研治やマーシーさんに聞いても「え?長谷川
ピーク?そんな難所があった?」って回答だったくらいだ。 08時長谷川ピークの取り付きを通過して上へ上がって
行く。
ルートは尾根歩きだし、至る所にペンキでマークされているので天気さえ良ければ変な所へ迷い込む恐れもない。
登山者でヘルメットをしている割合はここでは低い。
長谷川ピークを目指す
岩にマークがあるが、無くてもそこしか通れない あれ? 長谷川ピークってもう過ぎてしまったの?
A沢のコルへの下りから長谷川ピークを振り返る
自覚の無い内に長谷川ピークを超え、08時30分にはA沢のコルというくびれに下がって来た。北側から進んで来る時は
良くわからなかったが、振り返ると確かにびっくりする様な鋭い岩尾根に見える。見る角度による目の錯覚の様なもの
だろうか。
A沢のコルを過ぎると、いよいよ北穂高岳への切り立った北壁への取り付きが始まる。岩が脆くて上の登山者からの落石に
注意が必要。時々「落(ラク)〜〜」という声と小さな岩がガラガラと落ちる音がする。ヘルメットはこういう場合の保険の様な
ものだ。
この辺りの登山者は殆どが寝不足で疲れている。だから注意散漫になるし、足があまり上がらないので自分で岩を蹴飛ばし
たり、踏んづけた岩を蹴落としてしまうのだ。
北穂高のドームが見える (右上) A沢のコルへ下りる
長谷川ピーク(左) と 南岳の山塊 (右)
長谷川ピークのナイフエッジ 見た目ほどヤバくはない
08時40分 飛騨泣きと呼ばれる難所に入る。でもちゃんと鎖や鉄が敷設されているのでここもどうって事もない印象だ。
途中で会った登山者の話だと地震で岩が崩れた為以前より楽になったそうである。
高度を上げて長谷川ピークを飛騨側から見ると確かにナイフエッジの様である。細い岩尾根を表現するのに「ナイフエッジ」
とか「ナイフリッジ」或いは日本語的には「鎌尾根」と呼ぶのだそうだ。これがもう少し幅が広いと「馬の背」と呼ぶ。
飛騨泣き部に進む 飛騨泣きの鎖場
やっせ ほいせ
長谷川ピークからのナイフエッジがよくわかる
飛騨泣き部を越して又鎖場などもあり、いよいよ北穂高岳の本丸攻略の崖に取り付く。岩は更に脆くてザラついている。
一歩一歩岩を落とさない様に慎重に這い上がって行く。途中に休憩ポイントがあり先が混雑しているので待機する。
最後の壁には鉄梯子などもあり、足場はしっかりしている。ハクサンイチゲなどの高山植物の草もみじが美しい。10時前に
北穂高小屋に到着。
鎖場が又出現 岩が脆く落石に注意が必要
北穂高岳 北壁への休憩ポイント
北穂高岳 北壁は物凄く急な為落石注意 北穂高小屋が見えた〜 もう少しや
北穂高小屋の北側に出て這い上がって来た崖を眺める
北穂高小屋のテラスでコーヒーが夢やった この女性のお尻の左端は100m以上の絶壁だ
第2章 北穂高岳から奥穂高岳の縦走
日本屈指の展望喫茶店「北穂高小屋テラス」はもう登山者でごった返しているが、ここでコーヒーを飲まぬ手はない。
端っこのスペースを見つけてカレーとコーヒーを注文。アルプスの雄大な眺めを見渡しながらコーヒーをすする。う〜〜ん
人生にも山にも色々問題もあるけど取り敢えず今は最高やね。
ふと隣を見るとテラスと崖の間50cm位に若い女性が座って読書をしている。
バランスを崩したら100m位谷底へ転落する場所だ。世の中には変な所に命をかける人間がいるもんだ。
マーシーさんは早速高い缶ビールを飲み干している。研治は案の定私と同様に槍ヶ岳をバックにコーヒーをデジカメで
写している。双子というのは因果なものだ。
小一時間北穂高小屋テラス付近で過ごした後、忘れていた北穂高岳山頂を目指す。とってもすぐ裏の石段を登れば
山頂だ。急にザックを背負って石段を上がると動悸・息切れが激しい。標高3,106mは空気が薄いのだ。
記念写真を撮っていると見覚えのある背の高い人が目に付いた。ありゃ いつも職場の食堂でお目にかかっている
島田部長さんじゃあ〜りませんか。声をかけると驚いた後「おじょもさんも来ていますよ」とおっしゃる。彼らは3人で上高地
からパノラマコースで涸沢に出て一泊し、今日涸沢〜北穂〜奥穂、更に明日は奥穂〜西穂の縦走をするらしい。
しばらくしておじょもさんが例のダブルストック姿でゆったりと現れた。相変わらずデジカメを片手に写真をバシバシ無尽蔵に
量産している。あちらは今から休憩、こちらは長い休憩を取った後だったので別々に奥穂高へ向かう事にして10時42分
お互いの健闘を誓い合い別れの挨拶を交わす。
北穂高岳山頂
マーシーさん 島田さん おじょもさん 高松山の会の重鎮 エントツ山
おじょもさん、島田さん達に別れを告げる 北穂高岳から奥穂高岳へ向かうルート案内標識
北穂高岳の山頂広場の南端にルート標識があり、涸沢側へ縦走路が続いている。北穂高岳は複雑な山塊で特に西側へ
は沢山の岩尾根が延びている。そんな訳であろうか、縦走登山道はシンプルな涸沢側(東側)に付けられているのだろう。
北穂高小屋のある北峰を下りてしばらく進むと平たいコルがあり、沢山の登山者が休憩を取っている。ここがおそらく松涛
ノコルと呼ばれる場所だろう。
更に進むと、涸沢へのルート分岐(南稜分岐)を経て南峰へ少し登る。一旦南峰直下を右側に出て、その後ドームへのコル
から又涸沢側に出て北穂ドームを涸沢側に迂回してルートが続いている。11時10分このドームを迂回して前方へ出ようと
する所で沢山の人が集まっている。前の人に事情を聞くと、この先に鎖場がありそこを下りられない女性集団が沢山おり前へ
進まないらしい。こういう場合、皆さんが順番を待っているので追い越す訳にもいかずザックを下ろして休憩する。
渋滞場所に岩棚があり、その上で5〜6人の岩登り集団が準備をしている。その中にいた女性が外国人に2本ピッケルの
使い方を説明している。無数のカラビナを吊り下げザイルを体に巻いた姿はカッコいい。みんな暇だからずっと彼らの様子を
眺めている。
下から一人の登山者が登って来たので皆が状況説明を請う。「いや〜ひどいもんですわ あんな鎖をまともに下りられない
オバちゃん達が沢山おって固まってます。もうこちらも待っておれないのでルートを外して岩尾根を這い上がってきましたわ」
北穂高岳南岳とその向うに奥穂高岳
北穂高岳を振り返る 右手の平らな場所が松涛ノコルだろう
北穂高岳の南峰を下がるとドームが姿を現す ドーム左下の大岩にザイルを持った岩登り隊がいる
岩棚の上で準備をする岩尾根ザイル登攀隊 30分以上この辺りで待たされる
11時50分やっと前の人が動き出した。約40分ここで待たされた事になる。稜線上に進み下を見ると、少し飛騨側へルートが
急降下している。この辺りの岩は総じて大きく安定しているし、足場もしっかりしている。鎖が敷設されてはいるが別にそれを使わ
なくても問題ない様な状況だった。
マーシーさんとその岩場を下りながら「何でこんな所で渋滞するのよ?」と不思議がる。この岩場を下りると稜線付近を更に下部
へと縦走路は下がっていく。稜線部に出ると左手にはなだらかなスロープが海岸の砂の様に涸沢へと落ちていく。
北穂高から涸沢岳までのキレットは午前中の大キレットより距離は短いのだが、多くの人出による渋滞が多く、景色も岩だらけで
殺伐としているので爽快さに少し欠ける。でも岩が脆いので自分が落石をしない様に注意が必要で神経を使う。
キレットの最下部に向かうに連れて次第に次の涸沢岳への登りルートが明らかになってくる。 えらい細い岩尾根が1本延びて
いるがへ〜〜あんな所を這い上がれるの?って頼りない印象だ。
大混雑はこんなに簡単な下りの鎖場だった
涸沢カールを上から眺める
渋滞の悪夢を振り返る 尚も飛騨側を最下部に向けて下っていく
正面のピークから左手に下りて行き、奥の涸沢岳の南西尾根の頂点辺りを目指す。 奥の左端ピークへと這い上がる
ちょっと画像が悪いが最低コルから涸沢岳への登りルート 最低コルを過ぎて下って来た縦走路を振り返る
キレットの最低コルを12時25分通過。途中一箇所岩ピークがあり下るが、後は岩尾根の這い上がりとなる。特にここの登りは
岩が脆く高度差があるので落石に注意を払う。たまに上から登山者が下りてくるので適当に順番を整理しながら道を譲り合う。
途中から霧が湧いてきて涸沢が見えなくなった。でも時々日差しがあるので天候の大崩れはない様だ。
どのピークが涸沢槍か結局わからずに山頂標識のある涸沢岳に13時34分到着した。山頂手前で霧と太陽の合作「ブロッケン
現象」が現れたので、霧の中に丸い縁取りの中に現れた北アルプスの自分を動き回って楽しむ。涸沢岳の印象は霧が濃かった
事もあり、賽の河原の様な殺風景さだった。
手前のピークかその次のピークが涸沢槍か、その奥が涸沢岳とそこから西に伸びる涸沢南西尾根
奥に見える北穂高岳から手前のドームを涸沢側に巻き飛騨側の大渋滞を経て最下部に向けてず〜〜と下ってくる。
さながら芥川龍之介の蜘蛛の糸
涸沢槍への鎖場 雪渓の残る鞍部
涸沢槍を涸沢側へトラバース D沢のコル
涸沢が霧に霞む 草もみじが美しい涸沢岳への最後の登り
岩だらけの涸沢岳 (左奥のピーク)
ブロッケン現象 涸沢岳山頂
涸沢岳はあまり長居してもしょうがないと思える場所だったので、記念写真を撮ってとっとと穂高岳山荘に向かう。山小屋の
特徴である赤茶色の屋根が霧の中に現れ、小屋の周りにもテントが張られているのが見える。。
14時00分石畳のテラスを通って小屋に入り受付に部屋の状況を聞く。ここの受付は南岳小屋に比べて愛想が良い。驚いた
事にここには外にも大きな分別ゴミ箱が設置されている。非常に嬉しい事であるが、この大量のゴミはどう処理されているのか
気になる。
部屋は当然混んでいて布団1枚に二人寝と言われたが、もうツェルトに寝る気もせず3人で固まって寝れば何とかなるやろう
と宿泊予約する。部屋に通されると当然廊下もどこもザックで溢れていた。狭い部屋に布団は6枚で12人、ザックを取り敢えず
置いて明日天気予報が思わしくないので、天気が良い内に奥穂高岳に登っておこうという算段だ。
白出のコルとその向うに奥穂高岳 霧の中を白出のコル「穂高岳山荘」に下りていく
白出のコルにある穂高岳山荘とその向うに奥穂高岳
穂高岳山荘から奥穂高岳方面を見上げる 取り敢えず宿にチェックインしてラーメンをすする
南岳から7時間余り歩いて多少の疲れがあったが、14時30分頃南側の奥穂高岳への斜面に向かう。最初は絶壁の様な
傾斜を鉄梯子などを利用して上部によじ登る。後は岩だらけの登山道が上方に続く。間違い尾根という支尾根を越えると、
左手上方が奥穂高岳山頂で南側正面にはジャンダルムが両肩をいからせてデンと構えている。15時27分奥穂高山頂に着く。
奥穂高山頂は標高3,190mで日本で3番目に高い山である。大きな石組みのケルンがあり、その上に祠が祀られている。
ジャンダルムなど周りの風景は北アルプスの雄大なスケールを眼下の雲海と共に感じさせられるが、山としての美しさという
ものは感じない。満足感というお土産を持って奥穂高岳を去りジャンダルム側の尾根に少し進んでみる。
西穂高から縦走してきた中高年登山者はヘロヘロになっており、口々にもうこりごりや〜と訴える。相当参っている様だ。
大キレットの様な整備があまりされておらずルートを表示するペンキなども少ないそうだ。
寒くなって来たので1600時、山荘へ帰る事にする。ガスが湧いてきてどうも天気が崩れそうだ。16時30分穂高岳山荘に
帰る。
奥穂高への取り付き部から穂高山荘を見る
白出のコルから涸沢を見下ろす 脆い岩に覆われた奥穂高岳へ向かう 右はジャンダルム
ロバの耳(左前)とジャンダルム
奥穂高岳手前の肩で原兄弟 奥穂高岳山頂
奥穂高から北側を見ると槍が頭を出す
奥穂から槍のアップ コンパクトデジカメやからこれが限度
奥穂高岳から馬の背を少しジャンダルムへと進む
穂高山荘に降りる 穂高山荘での夕食
穂高岳山荘の割り当てられた部屋に帰ると他の登山者が既に部屋で休んでおり、知り合いで固まって適当に布団の割り
振りをする。私の隣は見知らぬ大阪の単独登山者だ。研治とマーシーさんは同じ布団で寝る。幸いな事に縦走時に話をした
ご夫婦が同じ部屋におり、みんなで雑談をしながら時間を過ごす事が出来た。
夕食は18時20分頃順番がやってきて食堂に行く。布団1つに2名のすし詰め状態でも値段は1泊2食9,000円、素泊まり
は6,000円。確かに小屋側も大勢押しかけて迷惑しているだろうが儲かってまっせ〜 最低布団1枚に1名様の基本料金で
あって欲しいなあ。
夜、島田さんやおじょもさんが同じ山小屋にいる事がわかり少し部屋を訪ねてみる。あちらは2段ベッドで足元のスペース
条件が我々より良さそうである。おじょもさん達は次の日本命の奥穂高〜西穂高の縦走を予定しているがどうも霧と雨模様である。
翌朝の様子で決めると言っていた。
又もや大いなるイビキの同室者がおり、ウトウトするだけでまともに寝れない夜だった。北アルプス山行って健康に悪いわ〜
第4日(9月22日) 穂高山荘ー涸沢ヒュッテー横尾ー河童橋ー上高地 に続く